#406 |
2007.3.1 | ||
広島電鉄 信用乗車制度導入を計画 |
先日ICカード導入を公表したばかりの広島電鉄は、その機材の能力を活用し運賃精算をセルフサービスにする信用乗車方式に切り替えるという画期的な計画を立てている。細部はまだまだ研究の余地があるようであるが・・、要点は
参考ページ:「信用乗車制度の普及に向けて」フォーラム (06/12) 〃 :LRTフォーラム富山交通研の報告書 (06/12) 〃 :講演録34「LRによるまちづくり(富山市例) (06/12) 〃 :香港 非接触式オクトパスについて (00/5) 〃 :電停精密表示システム導入の社会実験決定 (07/1) |
館主感想: 思い切った計画である。ヨーロッパでは当たり前、香港市でも成功している信用乗車制度であるが、日本での本格的な導入はまだ無い。もし各ドアからの自由昇降が実現すれば、停車時間は短くなり、車内通路の移動も不用、表定速度も自然に速くなる。この成果は乗客も大いに享受出来る制度である。マイナス点の不正乗車に対しては乗降者がICカードを精算機にかざしたときチン!と大きな音を出すなどと他の乗客にも確認出来るなど工夫をし、車椅子乗客の乗降時には側の乗客が積極的に手伝うなどして、この画期的新システム導入の成功を市民として手伝いたい。またこの画期的制度が成功すれば全国の模範となり普及するであろう。 |
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#405 |
2007.2.19 | ||
広島都市圏 ICカードを導入 来年度より実施 |
広島都市圏では磁気カードシステムはバスカードとして1993年より、路面電車のパセオカードは1997年より開始。現在は新交通アストラムライン、宮島連絡船を含めて10社が加入し共通利用している。しかし現況では機材も経年老朽化しており、また新規参加事業者も不可という限界状況にある。この状況から04年7月に中国運局のリードでICカード導入促進検討会が発足し鋭意検討を重ねてきたが、このほど纏まり、2月8日「広島ICカード導入検討協議会」より来年度導入の発表があった。
広島式ICカードの方式
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館主感想: 広島都市圏の現行バスカードはたいへん便利に使っているけれど、機能改良されたICカードへの転換は待たれるものであった。当地はバス会社や船会社も多く、立案が纏まるに時間が掛かったが、ここまで漕ぎ着けられて祝着である。事情を聞くとムリもないが、JRからの乗り継ぎは一方通行のみ。広島のICカードからもJRに乗り換えられるよう、次ステップにてぜひぜひ実現して欲しい。更に、下記白崎氏の講演録23にあるように、ICカードの高機能を活かす工夫も引き続きお願いしたい。 (注)[関西で実施されているICカード「スルッとKANSAI」とは「オートチャージ付きプリペイドサービス:ポストペイ」と言われる方式である。つまりICカードの取得には事前申込が前提となり、カード取得後は使用額の自動引き落とし制になる点が岡山・広島方式と異なる。スルッとの発足意図は「鉄道・バスへの乗車は手段で、目的は物販にて市街の繁栄や、美術館博物館等への入場便宜等である」点が異なる。なるほど関西らしい。広島はあまりそちらはあてにしていないようである。 参考ページ:講演録29 「スルッとKANSAI PiTaPaの情報」 〃 :講演録23 「ICカードの導入による今後の可能性」 |
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#404 |
2007.2.14 | ||
福井県 福井鉄道のえちぜん鉄道接続とJR乗り入れを推進 |
福井県は先年福井鉄道福武線(軌道系)とえちぜん鉄道三国芦原線とを田原町にてLRT化して相互乗り入れる案を発表した。このほど県は北陸新幹線計画に関連し更に検討を進め、えちぜん鉄道勝山永平寺線をJRの高架を一時的に利用し移行する案を公表した。即ち
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なお 福井鉄道の田原町経由三国線乗り入れ案は下記参照 参考サイト:福井鉄道福武線とえちぜん鉄道 接続案検討 |
2/15追記 福井鉄道とえちぜん鉄道三国芦原線の接続は上記の通り立案されていたが、福井市長の主導で市都市交通戦略協議会(仮名)を立ち上げ、三国芦原線(三国港〜新福井口間全線)の全LRT化を推進する活動を始める模様。事業者のえちぜん鉄道社長もこの案の受入れとプロジェクトの立ち上げを表明した。 |
館主意見:これで、この改革案は一挙に進み、第2の富山ライトレール式LRT路線が出現する公算が大きくなった。合理的な建設と運営を計るため今後両社の合併もあるのでは・・・。 |
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#403 |
2007.2.8 2/12意見追記 |
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番外編 映画「ALWAYS -3丁目の夕陽- の都電とは何だろう? |
館主より:本編は都電についての番外編です 関心の無い方は読み飛ばしを 今回はたいへん個人的なお尋ねで恐縮です。昨年封切りされた邦画「ALWAYS −3丁目の夕陽− はたいへんな評判作でした。主題は東京タワーが建設されていた昭和33年当時の東京風景をCG技法を使用して再現し映画化したものです。ストーリイは、港区、たぶん三田か神谷町あたりに住む少年が都電に乗り、はるか高円寺まで別れた母を訪ねて行くというものです。館主も当時は日比谷通りの会社勤務でしたので懐かしくて、観に行きました。あの頃の下町的な風景で雰囲気もそっくり。人情もこうだっただろうと感服するばかりの作品でした。更に路面電車ファンにとってのおまけは都電がもう一つの主役だっことです。 最近になり、また観たくてビデオを入手し再見しましたが、見ているうちに第2主役の都電が気になってきました。映画制作者は凝り性に違いないから架空の画像は使用しないでしょう。ではあの出演した都電6151、6152、6153、6175は実在するのか? デザイン・塗装はそっくりか? 乗車系統は? 当時確かにその路線を走っていたのだろうか? CGで再現した少年達が居住したタワーの見える通りは一体実在したのだろうか? では今の何通りの何町なのだろうか? 当時、港区の推定乗車電停から高円寺電停まで少年達は電車賃を何円払ったのだろうか?(札を渡してお釣りを手にしていた) リンク先の「ぽこぺん都電館」さんの運転系統図はたいへん参考になりました。が、知りたいことが上記のように雲の如く湧いてきます。・・・でもでも世の中広い。たぶんどこかにこの疑問に答えられる研究家が実在するに違いないと思いますので、もしいらっしゃたらどうぞ答えてください。「待てよ、では自分が都電知識を活用してこれから調べ答えてあげよう」という方もぜひどうぞ。m(_)m もしも快刀乱麻さんからご回答を頂戴したら、またHP上でご報告します。(^^;) (付記)路面電車ファンで未見の方。映画でもDVDでも一見の価値ありと思います |
1958年(昭和33年)当時の桜田通りか? 東京タワーは建設中である。 素晴らしい復元技術。ただ電車がたいへんゆっくり走るのだけは気になった。 |
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少年二人が港区の自宅から高円寺まで都電を利用しての実行を決心する。車番6152 系統は3番で、銘板も品川駅前→札の辻→赤羽橋→虎ノ門→赤坂見附→飯田橋と正確 |
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系統は13番で水天宮→飯田橋→新宿駅前 車番は6153 この町はどこでしょう? |
帰途に高円寺で乗らんとする都電。 系統は系統14の荻窪駅前→新宿駅前に 違いないが不明。車番は6175。 |
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路線図作成に当たってはぽこぺん都電館さんの系統図を参照し推定。助かりました。 参考サイト:ぽこぺん都電館 |
(2/12意見掲載) 館主御礼: いろいろご意見の中から、さすがぽこぺん都電館館主さっしいさんのご回答というかご意見が精密・ダントツに思えたので、氏のご意見からご報告させて頂きます。私としても映画はドラマですから氏の「許容範囲内」との総括に賛成です。 冒頭のシーンで、東京タワーが間近に見える道を都電6000形が走って行きます。3系統の飯田橋行きと8系統の中目黒行きがすれ違っていますので、現実だとすれば、赤羽橋から飯倉四丁目↑のあたりということになるでしょう。ただ、そうなると、夕日が東から射す不思議な世界だということにもなります。また、6157も6143も、昭和33年当時は青山車庫の所属ですから矛盾してきます。しかも、3系統なら700形、8系統なら1200形の独擅場だった時代ですよね。 映画の中に登場する都電は15台まで確認できましたが、どれも6000形。そのうち、番号の判読できるものが11台ありましたが、その全てが、該当車の当時の所属車庫とは矛盾するものでした。(当然ながら、狭軌の14系統の6000形などは論外ですし。) また、窓の外側に保護棒が設置されていますが、あれは昭和38年以降のはず。 …というレベルで考証して行くとなると、現実とは異なる点が多いわけですね。 更に以下、YAMANさんのサイトの記述に沿って述べますと、夜の電停(島式)の名称は「高円寺」ではなく「馬橋二丁目」です。新宿へ出るのに映画では「3→13」(飯田橋乗換)という経路を選んでいますが、実際にはそれでは不自然で、普通は四谷見附で11↑か12に乗り換えるでしょう。 料金は当時は13円ですから、二人で3系統乗れば78円かかりますね。二人が見せ合った所持金の合計は、71円にも76円にも81円にも見えますが(5円と10円の見分けがつきにくい)、81円でないと足りないことになります。 ただし個人的には、以上のことは問題にする必要もないだろうと思います。 島式ホームには違和感がありますが、他はドラマとしての許容範囲内でしょう。 |