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1997.7.1 |
お断り:この報告は出席者山根政則が本日までに入手し得た資料にて編集したもので「路面電車と都市の未来を考える会(岡山)」による正式報告書ではありません。 後日別途発表されるはずです。 |
目次
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日程 |
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●サミット本会議
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サミット本会議 | ||
LRT報告(熊本市交通事業管理者 行徳 健次氏)(LRT報告はNiftyFTRAINE「路面電車の明日を考える#00295」服部重敬氏の報告「サミット報告1」を転載したものです。 なお山根が若干補足しました。)
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参加路面電車愛好支援団体代表者および事業者代表による各地の現状と活動の主な報告
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議題討議1:新しい路面電車(LRT、スーパー市電、・・・)の新呼称を一般公募する件
2:新しい路面電車情報の計画的発信について
3:利用しやすい運賃システムの研究について(市民ワーキンググループの設置等)
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運輸省・建設省出席者による講演:都市と交通政策について
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その2 建設省道路局企画課道路経済調査室長 藤本貴也氏(本報告は上記服部重敬氏の報告をそのまま転載しました)
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第1分科会:LRT部会 | |||
分科会テーマ:LRT時代の幕開け、その可能性と課題 | |||
コーディネーター 服部 重敬 (都市交通研究家)
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基調講演 服部重敬 −なぜいまLRTなのか− | |||
はじめに
今、世界各地で路面電車の再評価が急速に進められています。この20年間で新しく建設された都市は50を数え、さらに70余りの都市で建設中、あるいは計画されています。かっては時代遅れの消えゆく乗り物、と言われていたのに、どうして今、ふたたび路面電車再評価の機運が高まっているのでしょうか。 自動車中心の街づくりは、さまざまな点で多くの弊害を生みました。道路渋滞による経済損失、排気ガス・騒音などの環境問題、さらには都心に人が集まらなくなる空洞化、公共交通のサービス低下などなど。こうした自動車社会の行き詰まりに対し、このままでは都市の機能が維持できなくなるとして、これまでの都市交通政策への反省が芽生えて来ました。ひたすらに道路の拡張を行うのではなく、クルマの使用を抑えるために公共交通機関を乗りやすく使いやすいよう整備し、都市内の居住性を高め、活性化を図ろうというものです。 そのような中で路面電車の見直しと改良が進められました。こうして生れた新しい路面電車はライトレールとかスーパー市電とか呼ばれ、昔のチンチン電車とはちょっと違っています。低コストで環境面にすぐれ、音が静かで形もスマート、スピードも速くて
地下鉄並み。しかも床が低くて乗り易く、高齢化・成熟社会にも相応しい乗り物として生れ変わったのです。すでに欧米では、中規模の都市に最適な次世代の交通機関として位置付けられています。 このように路面電車の再評価が行われたのは、人と環境にやさしい乗り物という路面電車の持つ様々なメリットが評価された結果なのです。自動車社会の抱える様々な問題を解決するため、公共交通機関の復権はもはや時代の要請といえます。 1)日本の路面電車廃止理由
日本の大都市から路面電車が消えてから、早くも20年以上の歳月が過ぎようとしています。1969年(昭和44年)に大阪、1971年(昭和46年)に神戸、1972年(昭和47年)に横浜と東京(除く荒川線)、1974年(昭和49年)に名古屋、1978年(昭和53年)に京都、1979年(昭和54年)に福岡と、ほとんどの大都市で1970年代に路面電車が全廃されています。全国的にみると、路面電車の路線の変遷は下記の通りで、戦後最盛期の1955年(昭和30年)に1400キロ弱あった路線は昭和40年代に急激に減少し、1995年(平成9年)の現在ではざっと1/8の250キロほどに減ってしまっています。 1)-1 国策に基づいた道路使用の合理性
日本でクルマ社会が本格化したのは昭和30年代中頃と言われています。モータリゼーションという言葉がマスコミで使われ出されるのが1964年、そして大衆車の販売が開始されたのが1966年であり、この頃から乗用車が急速に増えはじめます。 1)-2 赤字の増大
渋滞に伴う運行スピードの低下は、急速な利用者の減少をもたらしました。加えて、電車の運行効率も悪くなり、収益性も急速に悪化します。また、自動車の軌道敷通行によって、軌道保守の経費もかかるようになってきました。利用者の減少によって収益が減少し悪化し、これに対して行われた運転本数の削減がさらに利用者を減らすと言う悪循環によって、路面電車はますます衰退していきます。 1)-3 ニーズへの対応の不備
路面電車が生き残れなかった背景には、路面電車側の責任もありました。それは、時代のニーズに対応できず、長期的な施策がなんらとられなかったことです。 2)ドイツにおける交通政策
日本では時代遅れの乗り物といわれ、廃止が続いた路面電車でしたが、世界での路面電車の廃止の動きは、日本で知られているのとはちょっと違っていました。確かに大筋では廃止の方向で、イギリスやフランス、そしてアメリカなどではほとんどの都市で姿を消しました。しかし小型、軽量で小回りが効き、地上からすぐ乗れて便利という路面電車の良さを見捨てなかったヨーロッパの一部の国、特にかっての西ドイツでは、都市交通機関として路面電車を残し、時代に合うよう改良を続けていたのです。 3)アメリカで生まれたライトレール
西ドイツで改良された路面電車は、それが過去の交通機関ではなく、これからの時代にも有用な乗り物である事を示しました。それに対して、その路面電車を積極的に取り入れようとしたのが、なんとあの自動車王国、アメリカでした。 | |||
4)低床車の登場とその評価アメリカでのライトレールの成功は、世界中の都市交通関係者の関心を集め、世界各地で採用が検討されはじめました。4)-1 グルノーブルのコンセプト フランスは路面電車廃止に積極的でしたが、1970年代後半以降、その再評価を積極的に行い、1985年にはナント、1987年にはグルノーブル、そして1992年にはパリ、1994年にはルーアンとストラスブールにもライトレールを復活させました。 冬のオリンピックの開催地で、映画「白い恋人たち」の舞台になった町として有名なグルノーブルでは、自動車の増加による諸問題が深刻化しているとして、1983年にライトレール導入の方針が打ち出されたのですが、その理由は次の通りでした。 1. 輸送需要はバスの輸送力の限界を超えている、 2. 都心部ではディーゼルバスによる排ガスと騒音の排除が急務、 3. トロリーバスでは輸送需要を満たせない、 4. 近代化したシステムであるライトレールは、輸送力が大きく生産性が高い。優先信号と合わせると高い評定速度が期待できる。 5. ライトレールの導入と併せて道路のリモデルによって、歩行者本位の街づくりを行って都市の活性化を図る、というものでした。 ライトレール導入の理由は、ヨーロッパの他の都市でも大体、似たようなものではないかと思われます。この中でも注意して欲しいのは、ヨーロッパではすでにこの段階で、自動車のみならずディーゼルバスによる排ガスと騒音が都市環境に悪影響を及ぼしていると明確にうたっている点です。これは地球環境の保全という大命題以前に、海洋性気候の日本と違って大陸性気候のヨーロッパでは、より大気汚染の影響が深刻で、環境問題に敏感になっている様子を伺うことができます。 こうしてグルノーブルではライトレールの建設を進めたのですが、復活に当たり、明快なコンセプトを打ち出しました。それは新しいライトレールが昔の路面電車と違うという事を打ち出すことで、特にデザイン面では車両や施設だけでなく、2キロにも及ぶトランジットモールの建設など街路の整備にいたるまでトータルで実施しました。また車両も乗客によりやさしく、乗りやすいことを徹底して追求した結果、開発されたのが全体の床面積の70%がレール面からの高さ350ミリという超低床車です。この車両は、たとえ車椅子でも特殊な装置を使わず歩道から直接乗り降りできるというもので、その後建設されるライトレールのプロトタイプのひとつとなっています。 4)-2 発展する低床車 低床車の開発は、ライトレールの魅力をさらにアップすることになりました。 社会の成熟化により、1970年代以降、お年寄りや子供、身障者や病人、そして乳母車といった社会的弱者=交通弱者に配慮した都市基盤の整備が欧米で積極的に進められ、車椅子など社会的弱者でも乗りやすい「人にやさしい」車輛が求められるようになってきていました。 しかしながら路面からの乗降には、従来の床の高い車輛では問題が残ったままです。乗降しやすくするには、ホームの高さを車両の床に合わせて高くするか、あるいは車両の床を低くするしかありません。高ホーム化は、一部のライトレールで実施されたものの、従来のままの路面電車ではその対応は難しいため、低床ステップレス車両の開発が進められていたのです。 車輛の低床化には、「人にやさしい」電車が求められたのとは別に、もうひとつの側面がありました。停留所での乗り降りのための停車時間を短くし、表定速度を高めるという目的です。そしてそれは、乗務員が運賃を取り扱わないセルフサービスの運賃収受システムと併用され、さらに効果を高めました。 車輛の低床化は、まずバスで始められました。バスも社会的弱者への対応が求められており、当初はリフトなどで対応したものの、各国で技術開発が進められた結果、1980年代に入ると床面高さ35センチほどの低床式バスが実用化されました。この流れに対応する形で、路面電車の低床化が始まったのです。まず1984年にスイスのジュネーブに連接部分の台車を小径車輪とすることによって、全床面積の60%の床面高さを従来の半分の 480ミリで下げた低床車が登場しました。 さらに、グルノーブルのように独立車輪を使って車軸を無くし、このスペースを利用して床の高さを300から350ミリ程度に低くし、低床部分のスペースを広げた車輌が開発されました。このような車輌が生まれた背景としては、コンピュータを駆使した設計と半導体、マイクロコンピュータの導入により、機器の小型・軽量化、そして車軸が無くても両側の車輪をコントロールできる技術が開発されたことによります。 技術開発はさらに進められ、特殊な駆動方式を使って床のすべての部分を低くした全低床車(100%低床車)が最近になって登場し始めました。それまでの半低床車では、駆動軸は車軸があるのですが、全低床車では駆動軸からも車軸を無くさねばならず、そのあたりに技術的な難しさがあるわけです。 このように時代の流れに呼応した「人にやさしい」低床路面電車の登場は、関係者の間で高く評価され、すでに実績を重ねたライトレールの建設による都心の再生事例とあいまって、自動車交通の増大とそれに伴うさまざまな問題に悩む多くの都市に新たな方策を示すことになりました。またドイツでは、路面電車の地下化によって短距離の移動が不便になったことや、バリアフリーの要請によって、それまで積極的に進めて来た路面電車の地下化を見直そう、という動きも出てきました。 こうした状況は車輛メーカーを刺激し、乗りやすく、性能が良くてメンテナンス性に優れた車輛を目指して、競争で技術開発が進められたのです。加えて、ドイツの統合や共産圏の崩壊などで、大量の路面電車の新製需要が発生したことも、競争に拍車をかけることになりました。このようにユーザーである事業者とメーカーとの利害がうまく一致した結果、ハイテクで全床面低床という、いままででは想像すら出来なかった「人にやさしい」路面電車が、各都市に続々と登場することになったのです。 表ー4 1978年以降のLRT,路面電車の復活都市 1978年 エドモントン(カナダ) 1980年 ニューカッスル(イギリス)、スタール・オスコル(ロシア) 1981年 カルガリー(カナダ)、サンディエゴ(アメリカ)、ヘルワン(エジプト) 1982年 リオデジャネイロ(ブラジル) 1983年 ユトレヒト(オランダ) 1984年 マニラ(フィリピン)、バッファロー(アメリカ)、コンスタンツァ(ルーマニア) 1985年 ナント(フランス)、チュニス(チュニジア) 1986年 ポートランド(アメリカ) 1987年 グルノーブル、サクランメント、サン・ノゼ(アメリカ)、ブエノス・アイレス(アルゼンチン)ブラショフ、クルージュ、クライオーバ、プロイエシティ(ルーマニア) 1988年 新界(香港)、バレンシア(スペイン)、モズーイ(ベラルーシ)、レンツァ(ルーマニア)、ウスチ・イルムスク(ロシア) 1989年 イスタンブール(トルコ)、グアダラハラ(メキシコ)、シュシュンスコエ(ロシア) 1990年 ロサンゼルス(アメリカ)、モルトノーイェ(ウクライナ) 1991年 ローザンヌ(スイス)、モンテレー(メキシコ)、ピョンヤン(北朝鮮)、カンピナス(ブラジル)、ホトシャニイ(ルーマニア) 1992年 パリ(フランス)、マンチェスター(イギリス)、コンヤ(トルコ)、バルチモア(アメリカ) 1993年 セントルイス(アメリカ) 1994年 ルーアン、ストラスブール(フランス)、シェフィールド(イギリス)、デンバー(アメリカ) 1995年 ダラス(アメリカ)、クアラルンプル(マレーシア) 1996年 オーバーハウゼン(ドイツ) 1997年(予定) ザールブリュッケン(ドイツ)、シドニー(オーストラリア) 1998年(予定) バーミンガム(イギリス) 5)なぜ今、ライトレールが求められるのかライトレールの考え方は、低床車の開発によって大きく変わってきました。これまでの自動車に邪魔されず、早く走れるようにした路面電車という位置づけから、歩行者本位の街づくりに適した交通機関である事が認識されるようになったのです。そしてそれは、地球環境問題への対策として、都心部へのクルマの乗り入れを押さえて環境改善を図ろうという動きと呼応し、都市構造を自動車中心からライトレールを中心とした公共交通機関中心へと大転換を図ろうとする流れになってきました。ライトレールが今までの「チンチン電車」と決定的に違うのは、まさにこの点といえます。単なる輸送機関として機能するだけではなく、市街地のリモデルと活性化、そして環境負荷の軽減という役割を担っていることにあります。 クルマ社会に伴う市街地の衰退に対し、欧米でとられた対策は、市街地のリモデルを行い、自動車を排除し歩行者環境を整備して、活性化を図ると言うものでした。街の中心には人工的に造られた郊外店舗に無い魅力があり、クルマを気にしないで歩けるショピングゾーンを整備することによって、都心に人を呼び戻そうとしたのです。 その都心部の回遊性を高め、移動を快適で円滑なものとする役割を担ったのがライトレールでした。ショッピングゾーンに公共交通を走らせた都心商業空間をトランジットモールと呼びますが、そこに人を集め、その中で水平に移動するエレベーターとして機能するようにしたのです。地上から直接乗れて、短距離の移動に適し、しかも環境への負荷の少ないライトレールは、まさに市街地のリモデルにぴったりの交通機関でした。ライトレールを使った市街地のリモデルは、都市環境の改善と活性化と言う成果を収め、都心部衰退に悩む多くの都市に新たな指針を与える事になったのです。 これらライトレールを含む公共交通の整備と併せ、環境への負荷を減らし、限られた都市空間での機能の維持を図る為、都心部でのクルマの使用を抑制する様々な工夫が実施されました。日本では環境面へ関心はまだまだ乏しいですが、欧州では目標を掲げて地球温暖化防止に取り組んでいる自治体も少なくありません。例えばドイツでは、2005年までにCO2(二酸化炭素)の排出量を1987年実績から25〜30%削減する事が連邦政府の目標となっているといいますが、自治体も地域でこの達成を目指しています。 ドイツで排出されるCO2の排出源を探ると、その30%が家庭、25%が自動車であるといいます。残りは工業や商業関係ですが、こちらは対策がすでにとられていることもあって、今後多くの削減は望めません。それゆえ、自動車交通の削減が目標達成への大きなポイントとなってきます。 交通需要管理(Transport Demand Management)と呼ばれるこの対策には、自動車が都心部で走りにくくする交通規制や環状道路の整備、また公共交通機関を使い易くする運賃制度やパーク&ライド設備の充実などがあり、これらを地域の実情に合わせて組み合わせ、自動車から公共交通機関への切り替えを進めていきました。さらに、バスと乗り継ぎを行なう結節点を整備し、ライトレールを基幹交通機関として使う事によって、収容能力の大きな車体による効率性と生産性の高さが一層際立つ事になりました。 この動きは、新しく建設された都市だけでなく、今までの路面電車が残っていた都市−特にヨーロッパの都市で、路面電車からライトレールへのグレードアップも進めることになりました。路面電車は、ふたたび路面交通の主役に戻ってきたのです。 この結果、旧態依然のままの路面電車のシステムで営業が行なわれているのは、旧ソビエト、そして東欧諸国のかっての共産圏の国々と日本だけと言っても過言ではありません。 6)日本での復活に向けて世界での路面電車復活の動きに対し、日本では1980年、日本鉄道技術協会がリーダーとなり、欧米に負けない車両として日本版LRV(ライトレール車両・軽快電車と呼ばれた)を完成させたのを、復活の嚆矢とすべきでしょう。しかし、当時はまだ経済成長優先の時代で、路面電車復活への認識は低く、その機能を生かす為の環境整備も伴わなかったこともあり一部の車両の近代化が行われただけで、見るべき成果を収めるまでには至りませんでした。しかし、その後10数年の内に、世の中は経済成長優先から人と環境との調和の要請が高まってきました。海外における街づくりと合わせての成功例も日本に伝わってきましたし、際限のない道路整備にも限界が見えはじめるなど、路面電車をめぐる状況は随分違ってきました。 6)-1 補助制度の新設 こうした中、世界での路面電車復権の動きや、地球環境への対応で環境負荷の少ない交通機関への要望が高まったことを受けて、日本でも路面電車を見直す動きが始まったのです。まず平成7年度より、都心部における交通混雑の解消等を目的として都市交通改善事業が拡充され、路面電車の停留所整備や架線中のセンターポール化に対する助成制度が新設されました。この制度の画期的な所は、路面電車が都市交通機関として有効であるということを認めた点であり、初めて路面電車に助成の道が開かれたことになります。 路面電車に対する補助は、平成9年度に「路面電車走行空間改築事業」の創設によって、さらに充実しました。この事業の目的は、「道路交通の円滑化」のため「道路改築の一環として路面電車の走行できる道路等の整備を行なう」というもので、あくまで建前上は「路面電車の走行空間を活用した車線の増加や交差点等の改良によって、交通混雑等の解消を図る」のが目的ですが、解釈の幅を広くして、実質的には路面電車の建設補助として、国と道路管理者がそれぞれ事業費の1/3を補助する事になりました。路面電車の延長が日本で行われたかった理由のひとつとして、都市モノレールや新交通システムのような建設補助が無かった事があげられますが、この制度の新設によって都市交通機関としての位置づけが明確になり、日本でも一気に見直しの機運が盛り上がりました。あわせて運輸省でも車両メーカー、事業者などで構成する「人に優しい次世代ライトレールシステムの開発に関する研究」検討会が設置され、車両面での検討も進められています。 いよいよ日本での路面電車復活も本物となって来ました。延伸や復活の実現にはまだ、多少時間がかかるでしょうが、最近の新聞報道を見ていると、路面電車をめぐる話題は、今後急速に盛り上がっていくのではないかと思われます。国のバックアップ、地球環境への対応、街づくりの視点からの要請、建設費の安さなどから、それは想像を越えたものになる可能性すらあります。 とはいえ、実現に向けて、問題が無いわけではありません。 6)-2 望まれる都市インフラとしての位置づけ ひとつは建設費の問題です。 現在、日本の路面事業者は20ありますが、そのうち民営は15社です。ボギー車の小さな車体による効率性の悪さなどから、多くの事業者は赤字で運営するのがやっとで、新しく路線延長をするのはもちろんのこと、新しく車両を導入する余力もほとんど無いに等しいのが現状です。 欧米と日本の公共交通機関を見比べてみると、その位置付けに大きな違いがあることに着目すべきでしょう。すなわち、欧米では都市交通を水道や道路などと同じく社会資本として捉え、行政サービスの一環として運営費の補助を行い、サービスレベルの維持に努めているのに対し、日本では公営交通においても独立採算制の事業として捉えて、運賃収入による採算性を重視しているのです。欧米で、環境対策や都市の活性化に対し、公共交通への大胆な投資が可能なのは、この様な背景がある為です。 かっては欧米の交通機関も、運賃による独立採算でした。しかし、モータリゼーションによって交通企業の維持が困難になった時、都市交通を市場原理にまかせておいて良いのかという反省が生まれました。そして、自動車交通の抑制と公共交通機関の充実を図る総合的な交通管理政策にあわせて、その為の公的支援のシステムを造ったのです。 その公的助成の原資は、多くの場合、日本では道路の特定財源となっている自動車関連税収です。ドイツの場合はガソリン税を財源とし、最大その60%を公共交通に充当できるようになっており、事業費においては概ね連邦政府から50%、州政府から30%の補助があり、新しい車両の導入の場合には、旧西ドイツの都市では50%、旧東ドイツの都市では90%の補助が行われます。またアメリカでは、一般財源とガソリン税を原資として、最大75%の事業費の助成があるといわれます。 日本の公共交通が、まがりなりにも運賃収入に頼った独立採算でやってこられたのは、人口密度が欧米に比べて高く、都市に人口が集中しているからにほかなりません。しかしモータリゼーションの影響を受けて、都市鉄道の一部を除いて、多くの事業者は赤字に苦しんでいます。それでも事業が継続できているのは、事業者の努力と関連事業などからの内部補助に寄る所が大きいといえます。しかし独立採算ゆえに、赤字が続けば収支の均衡点まで、サービスレベルの低下は避けることができません。 しかし、それで良いのでしょうか。すでにこれまでに述べたように、環境問題にしても、地域の活性化にしても、クルマの使用の抑制と公共交通機関の充実が成果を収めていることは、世界各地で実証済みです。また福祉面からの要請はもちろんの事、来るべき高齢化社会に備えて、公共交通の維持と充実はますます必要性が高まると思われます。 日本と欧米では税制度が違い、地方財源に自主性が乏しい日本の制度では、地方が交通に責任を持つことは難しいのはいうまでもありません。しかし、どこかで現在の公共交通を市場原理に任せた流れに歯止めをかけない限り、早晩、都市は衰退の危機に直面する可能性が高いと思われます。ましてや自動車の排気ガスの抑制など論外であるのはいうまでもありません。 昨今、公共料金の割高感が叫ばれ、規制緩和による料金引き下げが進められようとしていますが、乗りやすい運賃、ましてや自家用車へ競争力のある運賃を設定しようと思うと、建設費を運賃で賄う従来の方法では、公共交通の新設はほとんど不可能といえます。日本での運営費の助成は現時点では難しいとしても、公的補助の拡充、あるいはイギリスで行われている「上下分離」、運営とインフラとを分離し、事業者の設備投資に対する負担を軽減して、事業がやりやすく、効率的な運営が出来る仕組みをつくる必要があるのではないでしょうか。公共交通が便利になることによって自家用車の利用者が転移し、結果として道路が空いて自家用車の利用者に利益がある、という理論でガソリン税を公共交通財源とすることを納得させている国もあるようです。 公共交通機関を、道路と同様に都市のインフラと捉え、街ぐるみで育てているヨーロッパ。日本でもこの違いを認識せずに、「単にヨーロッパのライトレールが良さそうだから、それをもってこよう」という発想でのライトレールの導入では、成功は難しいと思われます。 | |||
6)-3 クルマを抑え、走りやすい環境づくりを もうひとつは、路面電車が走りやすい環境づくりです。 欧米のライトレールの狙いは、最少のコストで高度なモビリティを確保することにあります。クルマを抑える為の交通需要管理(Transport Demand Management)による都心部を走行する自動車の数を少なくするために、郊外で交通結節点を整備し、バスとの乗り継ぎ、あるいは自家用車とのパーク&ライドを行なって、都市の基幹輸送システムとしての機能させる必要があります。また、バスの乗客を受け継ぎ、また自家用車からの転移を促すために、車両は収容力が大きく、快適な設備であることが望ましく、そのため車両は大型の連接車が必要になります。 しかし今の運賃収受システムでは、乗務員が運賃の取り扱いを行うため、時間がかかりますし、大型の連接車ではその為の補助員が必要となり、生産性が低くなる欠点があります。 例えば今度低床車が入る熊本と、フランスのストラスブールとを比べると、表定速度が熊本市が13Km/hに対して、ストラスブールは22Km/hと大きな違いがあります。ちなみ日本での新交通システム、モノレールの表定速度は平均28Km/h、地下鉄は33Km/hであり、さすがにそこまではないものの、地上を走り、駅間距離が短い(平均555M)線形を考えると、表定速度は低くとも、トータルの時間ではほとんど変わらないでしょう。 このように高い表定速度が確保できるのは、自動車交通をコントロールする都市交通政策が行われているためであり、もうひとつは停車時間の短縮にどの扉からでも乗降できるセルフサービスの運賃収受方法が効果を上げているためです。日本では、路面電車の走行時間の合計の内、およそ40%が停留所の停車時間と交差点での待ち時間に費やされているとのデータもあり、停車時間と信号待ち時間の短縮は、路面電車を機能させ機能させる為に絶対的に必要な条件といえます。 セルフサービスの運賃システムを採用するメリットはもうひとつあります。乗務員がは運賃扱いにタッチしなくても良いため、連接車を2編成連結した長大で、しかも非貫通の編成でもワンマンで運転できることです。この合理化・省力化されたシステムにより、一人の乗務員で最大600人も輸送できるというように、バスとは比較にならない高い生産性をあげることができます。このように運営コストが最小に出来るのも、ライトレールならではの大きなメリットです。 しかし、これらシステムを日本に導入するには様々な困難が予想されます。前者は、今までクルマの自由な使用を認めて来た日本の交通政策の大転換が必要です。また、後者は日本で前例の無い運賃収受方法であり、確実な運賃の収受が可能かが成否の鍵となります。欧米では切符を所持していない乗客からはペナルティを取る事で無札の牽制をしていますが、制度の違いもあって、日本での実施には難しい面がありそうです。また実用化が間近い非接触式の乗車券システムを用いたとしても、車内で乗車券所持の確認をする限り、大量の乗客を短時間に処理する事は難しい、ともいわれています。 とはいえこれらの問題を解決しない限り、いくら車両だけが新しくなったとしても、欧米のライトレールのように都市の基幹交通システムとして機能する事は難しいのではないでしょうか。 大型の連接車ではその為の補助員が必要となり、生産性が低くなる欠点があります。 6)-4 望まれる路面電車への意識転換、まずはイメージチェンジから 日本での「新路面電車元年」を迎えるにあたり、現時点でおそらく一番ネックとなるのは、制度やシステムの不備ではないでしょう。利用者である市民はもちろんの事、多くの自治体、そして事業者・その従業員においてすら、路面電車の都市交通機関としての真のポテンシャルに気がついていない点にあるのではないでしょうか。最近の近代化された世界の路面電車の動向はほとんど知られておらず、仮に知られていても外国の特殊な例としてしか見てもらえません。多くの人にとって、相変わらず路面電車は今も「チンチン電車」であり、消えゆく乗り物でしかありません。クルマ偏重の交通政策、自動車文明を豊かな未来ととらえ、その後押しをしたマスコミ、モータリゼーションの影響をまともに受けて、赤字経営に陥り、維持するのがやっとの事業者。昭和30年代から30年以上にわたり培われてきた路面電車のイメージを、一気に変えようというのは至難の業です。 しかし、まず古めかしい「チンチン電車」のイメージを払底しない限り、どのような制度ができたとしても、路面電車の復権は難しいのではないでしょうか。郷愁の乗り物としてではなく、都市交通機関としての有用性が利用者・市民に認められてこそ、その必要性が認識されると思われます。 今回のサミットを契機として、まず大切な事は、路面電車の持つ街づくりや都市機能改善に向けての可能性を広く一般にアピールすることによって、過去からのイメージチェンジに努めることではないかと思います。そこでライトレールという言葉を使っても悪くはないのですが、もうひとつイメージが想像しにくいのがネックといえます。かってアメリカの運輸省が補助制度をつくるに当たってライトレールという言葉を使ったように、日本でも新しい時代の路面電車に相応しい、わかりやすい日本語を定め、マスコミやキャンペーン等に統一して用いることによって、そのイメージを明確にする必要があるのではないでしょうか。 路面電車の認識が新たにされた時こそ、日本に本物のライトレールが誕生するのです。 *欧州のライトレールの動向については、鉄道ファン誌掲載の拙稿「新時代を迎えたヨーロッパのライトレール 1〜6」(1996-3、4、6、1997-4、5、6月号掲載)もあわせてご覧ください。 【参考文献】・Vukan R.Vuchnic著 田仲博訳「都市の公共旅客輸送−そのシステムとテクノロジー」 技報堂出版 1990・天野光三・中川大著「都市の交通を考える」技報堂出版 1994 ・天野光三著「都市の公共交通」技報堂出版 1988 ・交通と環境を考える会編「環境を考えたクルマ社会」技報堂出版 1995 ・中西健一著「現代の交通問題」ミネルヴァ書房 1987 ・角本良平著「鉄道と自動車−21世紀への提言」 交通新聞社 1994 ・川村健一・小川祐幸著「サスティナブル・コミュニティ」学芸社 1995 ・池田博行・松尾光芳著「現代交通論」税務経理協会 ・「LRTの導入に関する調査・研究」平成3年 社団法人交通計画協会編 ・里田 啓著「世界のLRTフルコース」:鉄道車両と技術 ・Light Rail and Modern Tramway 各誌 ・Light Rail Review 各誌 ・「運輸と経済」各誌 ・「JREA」各誌 ・「道路」1996-9 ・「交通工学」1996 No4、1997 No1 ・「都市と交通」1995-3 ・「NIKKEI CONSTRUCTION」1996.9.27 ・「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」「鉄道ジャーナル」各誌 ・NIFTY SERVE 鉄道フォーラム | |||
討議(服部重敬氏に山根補足して要約)
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