2つ目の百貨店の撤退 街の喪失は、岐阜だけの話でしょうか? 

2005.7.4
         (岐阜県岐阜市) 堀 達哉   by e-mail   自営業 38才    

筆者ご紹介:

筆者堀さんは岐阜市にお住まいですが路面電車活用の全国的活動で知られた方です。このたびの名鉄岐阜市3線撤退については、利用者と市中商店街を支援する立場から先頭に立ってご活動でしたが、残念な結果になってしまいました。関連してご本人から頂いた経緯の説明とご意見ですが、考え込んでしまいました。今回の岐阜市の出来事は他都市の路面電車の明日の可能性についての警鐘とも考えますので、他人事と考えずご覧頂きたいと思います。

私のいる岐阜県岐阜市では、この3月末に名鉄が運営して来た路面電車 が廃止されました。

利用者が減っていると言っても40万都市の県都を走る鉄道で、地域の路線バス40路線あまりで運ぶ1180万人/年の3分の1程度は運んでいましたから、廃止後は、中心市街地の柳ヶ瀬の商店主さんたちは 「(郊外の)関市や北方・大野町からのお客が来なくなった」という声 も聞こえて来ました。

そんななか、名鉄本線のターミナルにある「新岐阜百貨店」が年末に閉鎖とのことで、少なからず驚いています。

新岐阜地区周辺は、名鉄利用者以外にも岐阜市の顔でした。名古屋にパルコが無かったころパルコ岐阜店に来るのに、名鉄電車で降り立ったスクランブル交差点に、東京の、渋谷の香りが漂って、この街の印象を味 わい深く刻まれた人は少なくないハズです。当のパルコ岐阜店も「路面電車廃止もあり、都心は厳しい」と経営環境を評します。かつての面影を残し、柳ヶ瀬への玄関として愛着深いこの地区がどうなって行くのか気がかりです。

こういった市民にとってかけがえの無い「地域の顔」を守ることは、意外に難しいのかもしれません。何しろこれを「ある一部の人たちの所有物(土地)」として見てしまえば、特別な扱いをすることに異論が出て来ます。既得権的な弊害から「中心街への特別扱いが地域をダメにする」という議論もよく聞かれますが、特別扱いしなければ守ることが出来ないこともあると思います。

97年に名鉄が新岐阜百貨店の再開発と路面電車の駅建物への引込みを 打出したとき、地元の反発が先に立って「企業エゴ」と言われ立ち消えましたが、いまにして思うと、そこで想定された拠点性が実現していたならば人の流れを徒歩や公共交通に留め、都心の機能利用に「クルマとの棲分け」の概念も成立したかもしれません。

人の交流が活力の源である「都市」ならば、その街の良さの持続を目指して「守るべきものは守る」「ひいきすべきことはひいきする」・・・・・つまり依怙贔屓ならぬecoひいき(ダジャレてて恐縮ですが)の発想 を、多かれ少なかれ持つべきなのでしょうね。

エコノミーとエコロジーが同居し、守るべき拠点や心のよりどころを持つ「都市としての良さ」を磨き上げ、より良いecoひいきをしないと、路面電車のみならず大切な街の姿が、もう取り戻せない変化を、しかも知らず知らずのうちに、強いられてしまうのではないでしょうか。


 堀達哉 (岐阜未来研究団主宰、自営業、団体理事、名古屋大学非常勤講師)
       ホリ個人の電子メール:miekenzo@chal.jp
       関連ホームページ:岐阜未来研究団




グリンムーバーに乗りたいな 


(広島市中区) 高橋 恵子

 2001.7.15
      e-mail  (主婦 40代)

 ホームページ時々覗かせてもらっています。

 鳴り物入りで登場したグリーンムーバーも今では台数もちょっぴり増え珍しくもなくなって(?)まいりました。ところが、私は「江波」住まい。(←館主注:広島市南部の江波線地区) 滅多に乗ることはありません。いつも眺めているばかり。

 たまに、(月に1回くらい)宮島線沿線に出かけるとき、運がいいと乗れます。いい大人が、乗りたい電車がくるまでホームで待っているのも変なので、古い(!)車両の電車がホームに入ってきた時は、諦めます。運良く乗れた時は、いろんな向きの座席があるので、進行方向の窓側がいいなと内心思いつつ、大抵は、ドアの横の折りたたみの席。もし乗れても、乗り換えの土橋までなので、名残惜しい。

 乗り口は低くて助かるし、あんまり揺れないので快適です。広島に越してきたばかりの時は、いろんな電車に乗れるのが楽しみだったけれど、年をとったらやっぱり快適な方がいいですね。

あっ、それから信号が赤になった時は発車しないで、ホームで待っていてくれる車掌さんがいて、助かることが多い。後ろに次の電車がいない時は、そうしてくれるといいですよね。

隠れ路面電車ファンの高橋でした。

  ときどき館主の方に路面電車についてe-mailを頂戴します。嬉しなったり、考えたりです。(^_^)




都市交通のお手本に



 (東京都西東京市) 高橋 俊郎

      
 2001.7.15
                 (70歳)

 路面電車が走っている全国19の都市の中で、広島市が最も実用性に富み、市民の足として活動していることを報道で知りました。
 私は昭和25年から東京に住み続けていますが、いつのまにか路面電車は姿を消し、今はたった1系統のみが細々と走っているだけです。 地下鉄は整備されましたが、都内隅々までと言う訳にはいきません。 路面電車に取って代わったバスは、交通渋滞のため不規則きわまりない状態です。
 路面電車をなぜ復活させないのかと思っていた矢先、広島市で市民団体の方々の提案などで都市交通の再整備が具体的に進められ、路面電車の有効活用が図られることを聞きました。公害もなく大変良いことと思いました。これからの都市交通は、無公害型の交通機関が理想と考えます。
 アメリカでは自動車万能型から脱却し、電車や公共交通機関が見直されているそうです。21世紀は地球に優しい環境づくりが重要なテーマですから、都市交通はいやでも無公害型が主力になると思います。
 広島市が、これからの都市交通の在り方のお手本になることを期待しています。(中国新聞5/28 承認済み)



街の活性化に路面電車を期待する

   

     (広島市) 米田 勝

           会社員  (26歳)
 
隣の岡山市において今までにない社会実験が試みられた。(2001/2/17〜2/21) 路面電車を延伸したときの影響を調査するために車線を削る実験を行ったのである。
 路面電車延伸の目的は、車を使う市民に対して定時性のある路面電車への乗り換えを促して交通渋滞を解消し、さらには中心部における駐車場を探す手間を省くことも考慮されている。
 また、自動車を減らすことできれいな空気を取り戻そうと>いう意味合いもある。すなわち、中心市街地の活性化を意図している。
 広島市には車椅子でも簡単に乗れる福祉と環境に配慮したバリアフリーな路面電車が登場して話題になっている。岡山市も、これに刺激されたに違いない。新たなまちづくりのアイテムとして、路面電車が生かされることを期待している。



新旧混在の妙 路面電車ばんざい

  

  (広島市)  浅川 佳代子

            主婦   (39歳)

 6月10日は「時の記念日」とばかり思っていたら、意外にも「路面電車の日」でもあったことを始めて知った。
 この春、中学一年生になった娘は、広島市内から宮島線の路面電車を利用して通学している。その娘が意外にも路面電車ファンなのである。その理由は「すごく味がある」という。学校からの帰路、電車に揺られて眠るのに、揺れ心地が最高らしい。
 いつも、あらゆるものに対して「古い。ださい」と反応する娘に似合わない言葉である。なにはともあれ、娘が路面電車に愛着を感じてくれるのはうれしい限りである。
 路面電車は今や広島市民の生活になくてはならないものになっている。新旧の電車もだが、何といっても、大きな魅力は全国各地で廃止になった路面電車を走らせていることだ。“走る博物館”の異名を持つほど、そのユニークさは全国的にも知られている。
 さらに、平和都市ヒロシマに、なぜか似合う路面電車である。
 これからも趣のある古い電車と新しい電車の混在の妙を大切に、広島を走り続けてほしい。

 以上が00/6/15の中国新聞に載った記事であるが、これはど広島市民の路面電車に対する感情をうまく表現した文章は知らない。浅川さん、ぜひぜひ「路面電車を考える会」の例会に出席してみてくださ〜い。



こんな電車はどうかしら

         (広島市)   高山 望


 今の住まいのすぐそばを広電の市内線が走っている。というより,電車の沿線だからここに住んでいるのだが,朝6時には一番電車が通り,夜11時20分頃に宮島行きの終電が通過する。郊外の静かな場所とはまた違った魅力がある。

 家から電停までは歩いて2分である。すぐそばにバス停もある。 自家用車と同じ車線を走るバスと,自動車乗り入れ禁止の軌道を確保した電車とでは,安心感が全く違う。バス停には全便の時刻表があり,電停には始発と終発の時刻しか記されていないが,それでもバスを待つといらいらするのに電車を待つのは苦にならないのだ。 事情のわかった人だけが乗ればいい,という感じがバスにはある。旅行者でも子どもでも安心して乗れるのはやはり電車である。 広島では,車を持たないので仕方なく電車やバスに乗っていると思っている人が,多いのではないだろうか。東京あたりだと,車を持っていても通勤には電車の方が便利だとか,サーフボードをかかえて急行電車で海に行くというような生き方がありうる。 

 「乗務員はもっと愛想よく」などという新聞投書がときどきある。私なら,いくら運転士が愛想よくても,本数が少なくて時間の不正確な乗り物には乗る気がしないが,まあ人それぞれ感じ方は違うだろう。たとえば,ラッシュ時には車内の片側の椅子が折りたたまれてスペースが広がるというのはどうだろうか。テーブル付きの向かい合わせの座席ならデートにはぴったりだ。(これは既にドイツから来た電車が広島にいる。ただしデートするような時間帯には走ってない) 

 電車の行き先はローマ字のみならずひらがなを併記して,誰にも読めるようにしたい。それこそが電車の持ち味だ。己斐,宇品,白島,江波と,なぜか広島の電車には知らないと読めない行き先が多いようだ。 

 健康のために自転車に乗っている,という人には都市の未来のためにぜひ電車に乗ってほしい。それが電車の発展につながるし,第一,自転車で行ける範囲で用が足りるようでは都市として広がりがない証拠だ。そんな街では,電車の未来も明るくはない。



高齢化社会には路面電車が最適

  

    (広島市)  黒原 忠悳

         

            映像作家  (55歳)




路面電車ホームページを編集してみて

   

 (広島市)  山根 政則

1997.3.1
路面電車を考える会事務局 (65歳))
 
歳はほんとうは書きたくなかったのだが・・。 それはともかく、横浜市から2年前に広島市に越してきた。 生まれ故郷の故もあるが、それより数年前帰郷したとき、宮島沖から着陸する際に機窓から見おろした島々と海岸線の美しさに目を奪われた。 で卒然と職を辞し、マンションを売り払い、この広島の地に転居してきたのだ。(^^;)
 広島に越してきて感嘆したことが三つある。
1)魚が旨い。     ・・広島の人は当然と思っているらしいが、天の与えた恩寵です
2)路面電車が便利 ・・東京勤務で地下鉄に40年近く乗ったが、暗い空間のガマンであった
3)喫茶店が多い   ・・かっては東京も多かったのだがバブルで全滅した 

 こんなことを畏友、栗田康雄君に話したら「実は路面電車を考える会」という活動をしているので顔を出さぬか」と誘われたのが、この会への縁のはじめである。 以来2年余、パソコンの心得が若干あるものだから、その技術を利用し、会報の作成・発行とか名簿整理、会計等々を引き受け、お手伝いしている次第。  路面電車そのもの知識は希薄。 でも、「考える会」だからそれも良いのじゃない、と割り切っている。

 一昨年ころよりインターネットがはやりだしたが、情報源は外国発が多いようで、も一つと思っていた。 ところが昨年に至り日本発信の情報源(コンテンツ)が猛烈に増えだし、「これならおもしろいし、役に立つ」との実感をひしひし覚えるに至った。 シコシコとネットサーフィンを楽しむうちは気楽だったが、自分のモットーは「情報とは give and take なのだ」と信じているので発心し、お世話している「路面電車を考える会」の情報を世間様にお知らせして、お報いすることに決意した。

 以来1ヶ月、毎日つめてやってどうやら終わりが見えてきた処だが、けっこうしんどい。 でも人様の作品を見るときは、かなり細部まで観察するすべを身につけたし、モットーも実行できたし、と勝手に喜んでいる次第。 考える会の皆様にも資料提供をかなり強要してしまったり(^^;)。

 実は、パソコン通信の方はもう8年来愛用し続けて居るが、このインターネットの世界は、また別格の魅力があるものと確信してきた。 初心者だけに、未知の山が大きく、それだけに楽しみも多いように感じている。

発言から