#3
#2



西ドイツ ドルトムント市電GT8 広電70形 

07.6.18
  
 広島電鉄70形は1959年(昭和34年)に西ドイツで製作されたGT8型3両連結電車で1980年(昭和55年)までドルトムント市を走っていた。当時路線の一部区間が路下方式になるため新車と代替されることになり、この機に広島電鉄が譲り受け広電仕様に改造し今日に至っている。
 広電での使用は、内装をテーブル付き椅子仕様に改め、主としてイベント電車として使用している。

ドルトムントGT8 広電76号 
ヨーロッパタイプの特徴で全面は細く絞られ絞られている
(2007.5)  宮島線荒手車庫にて (以下同様)  

ドルトムントGT8の側面 ドイツ時代塗装のまま使用
ドイツのコマーシャル塗装でそのまま走るのも興味深い

車内座席の様子 一人掛けと2人掛けクロスシートとの配列
連接部は幌式でなく剛体ボックスタイプで客室居住性を確保
広い窓に加え飲食用に使えるテーブルも充分なスペースがある
車内壁面には装飾も施され、カラオケ設備もあり、観光使用に備える

★運転台の様子 元の仕様より広島電鉄仕様に変更された

ドイツ時代の車内案内ステッカーなど
ドルトムント市公共交通地図
路面電車とバス路線らしい

前売り回数券は25%もお得です
車内でなく販売店自動販売機で

無賃乗車は不正です。他の乗客が負担することになります 検札で有効キップが提示出来ないときは45マルクの増加料金です
信用乗車のヨーロパでは、不正発見時の処置も厳しいようだ

車両3元図と諸元
主要諸元
  • 製造年:1959年
  • 製造社:車体、台車とも 西独デュワグ社

A車およびB車
  • 定員:48名 (うち座席 16名)
  • 客室面積:15.49u
  • 最大寸法:長さ10.155m 幅2.360m 高さ3.940m
  • 自重:13.10トン
  • 制動機の種類:電氣併用空気制動機
  • トラックの種類:2軸ボギー台車
  • 電動機:
    • 種類:直流複巻自己通風式
    • 出力:65KW
    • 電圧:600V
    • 個数2個
  • 全負荷時における(1時間定格)
    • 牽引力:860kg
    • 速度:25.3km/h

C車
  • 定員:54人 (うち座席 22名)
  • 客室面積:12.80u
  • 最大寸法:長さ6.8
  • 50m 幅:2.360m 高さ:3.65m
  • 自重:6.80トン
  • 制動機の種類:空気制動機
  • トラックの種類:2軸ボギー台車

館主感想:
広電の通称ドルトムントに乗る機会とは、広島市民にとって夏のビール電車、春秋の路面電車を使用した貸切電車行事といったことになる。たまたま乗り合わせると、毎日まじめに走っている正規の路面電車と違ってお遊びの楽しい電車だーとうきうきしてしまう。大きな声では言えないが、赤や青のびらびらで飾られた車内にて、机上にデンと置いた持ち込みビールを飲みながら都心紙屋町を走っているときなど、窓外の歩道を暑そうに歩く市民など眺めながら、思わず申し訳ないと言いつつ一瞬の優越感を抱いたりする。ドルトムントとは広電の特別電車である。



#3


  ホームページ100万アクセス達成記念ページ

 広島電鉄 100形復元車 

05.11.8
  
 広島電鉄は話題の新鋭電車の導入・開発を積極的に継続している。また一方では開業当時の車両の保存と再現も果たしている。温故知新という言葉があるが、新鋭電車採用と運用の歴史には長年積み上げられた電車技術の歴史が基礎となっているに違いない。  今回紹介する101形電車は開業当時の電車を更新・復元し、現役としてイベン用に使用はもちろん、4〜10月の夏期期間だけだが土曜日は横川-江波線に、日曜日には白島-八丁堀区間を営業運転をしている。

JR横川駅は100年前にバス営業路線が日本で発祥した地。それを記念して2003年にはレトロな上屋が新設された。この駅に停車するレトロな101号車は見事にマッチングしている。さすがに乗客の関心を引きつけている様子。 
関連ニュース:横川駅前広電新電停完成
江波車庫にて休息中に  2005.11.7
車内の様子 正面扉の引き戸は真鍮製金具でロックする 手で開けるのは重い
運転台。 右のブレーキハンドルは懐かしい 
歩行者と衝突時に備えた救助ネット 運転台は風が吹き抜けていた
レンズを使わない白熱灯の前照灯 創業当時の社章 
客席前方の明かり取り二重窓 客席照明用の3個組み白熱電球
客席入口の羽目板には、乗客へのものものしいご注意書きが・・・


車両3元図と諸元













主要諸元
  • 製作年:1939年(大正14年4月)
  • 製作所:(初期)台車:日本車輌 主電動機:三菱電機   (復元)大阪車両工業
  • 復元年:1984年(昭和59年4月) “Sun Sunひろしま”観光キャンペーンに協賛し復元工事施工
  • 復元後の形式:2軸単台車、二重屋根、吹き抜けの運転台、しゅろ縄の救助網、凝った装飾
    (旧車は木造車であったが、復元に当たって営業運転を考慮したため、現在の構造基準適合するようにした。したがって、台枠や外板、屋根などは鋼板製である。特に腰板は80mmごとに楯溝の入った鋼板が使われ、短冊を並べた木造車の腰板を思わせる。
  • 軌間:1,435mm
  • 自重:9.7t
  • 主要寸法:(最大長×車体巾×最大高さ) 8.540 × 2.310 × 3.883mm)
  • 定員:46人 (内座席:26人)
  • 座席面積:11.73m2
  • 運転性能:全負荷における牽引力 760kg 速度:25.2km/h (1時間定格)
  • 台車:4輪単台車 (下回りは1971年まで在籍し、市内の交通公園に保存されていた157号のものを整備して流用した。本来の100形のブリル21E形ではなくS-12形である)
  • 集電装置:ポール2本(ダミー) 実用はZパンタ
  • 主電動機:直流直巻 600V 26kw×2 (モーターは性能的には150形である)
  • 制御方式:空気および電気制動機
  • 灯の個数:前照灯 2, 尾灯 2, 室内灯 6, 方向幕灯 2, 乗務員室灯 4, 室内予備灯 2, 尾灯予備灯 2
  • 車軸(経×長):
    • ジャーナル  89φ×176mm
    • ホイールシート 114φ×127mm
  • 室内復元後の様式:当時の様式で、腰板・仕切戸・柱キセ・よろい戸などは木造(ナラ材)であるが、天井は火災防止対策のためアルミデコラが使用された。しかし、全体に木目を生かして、赤い座席とともに暖かい感じである。運転台と客室の仕切扉は安全確保のため、ドアエンジンを設けた自動ドアになっている。

館主感想:
 この100形電車こそ1931年に広島街中生まれの館主が、見て、乗って、眺めて育った想い出深い広電の電車です。電車が発車する時と車掌が運転手に発停止の合図をするためヒモを引くときにも鐘をチンチンと鳴らす。チンチン電車です。終点に着くと、車掌さんはまず救助ネットを引き起こして畳みます。次いでポールのヒモをぐいっと引っ張って架線からポールを外し、ローラーを見つめながらヒモをぐーっと引いたままで電車の周りを180°廻り、電車の先頭に行きます。着くとリングを睨みながら慎重に架線にドンと嵌めてからヒモを金具に括ります。次いで防護ネットをバタンと降ろします。

広島電鉄は戦後に日本中の各都市で路面電車
撤退が始まった頃に神戸市電、西鉄北九州線、大阪市電、京都市電の電車を受け入れて活用し、「動く市電博物館」とも言わました。一方では新車も着々と新製整備を続け、軽快電車、3連接車、Green Mover 、maxへと日本の先頭を切った増備を続けており、まさに路面電車王国と言えましょう。

こうして広島電鉄の車両構成は今や石垣的・重層的な構成を達成し、日本の代表的路面電車経営会社となりました。

広島市から路面電車の情報発信する当館は、本日が100万アクセス達成の日に当たり、格別の思い出がある101形の紹介ができ、特別の感慨が湧きます。



#2


鉄道技術協会共同開発 軽快電車 3500形 

05.8.15
  
 
昭和50年代に入り我が国でも都市交通機関に省エネ、環境クリーンを要請され始めた。ヨーロッパでは既にLRT(Light Rail Transit)が実現していた。この目的に沿って(社)日本鉄道技術協会は開発委員会を設け、省エネルギー・低騒音・低振動で乗り心地がよく・運転操作の簡単・近代的で21世紀の乗り物としても十分通用する高性能な路面電車軽快電車と名付けて開発を始めた。

 開発は昭和53年(1978)から3カ年計画で行われ、昭和55年には3車体連接車が完成し、広島電鉄の路線にて走行試験を実施した。この編成を広島電鉄は3500形と名付け1編成採用し、現在も現役で便数は限定されているが宮島線にて運転されている。 
 そういう経緯なので広島電鉄の3500形は路面電車界の記念車両とも言えよう。

 同時開発をした構成要素を使用して2軸ボギー車を長崎電気軌道に納入したが、今も同社では2000形として2編成が運用されている。


宮島線/草津駅付近 (2005.8)     Photo:小泉浩平氏  

3501の横顔 宮島線荒手車庫にて (2005.4)

車内の座席に注目。両先頭車は一人掛けクロスシート、中間車は二人掛けクロスシートとロングシートとの組合せとは実験車らしい。乗り心地は快適。

両ハンドルの運転台や計器、表示器等当時としては画期的。


車両3元図と諸元
主要諸元
  • 製作年:1980年(昭和55年)7月
  • 形式:全金属製8軸3車体連接電動客車
  • 編成:A(電動車) B(中間車) C(電動車)
  • 軌間:1,435mm
  • 電気方式:DC 600V
  • 自重:38.4t
  • 主要寸法:(最大長×車体巾×車体高) 26.300 × 2.450 × 3.280mm)
  • 運転性能:
    • 最大速度:80km/h
    • 加速度:2.65km/h/s
    • 減速度:(常 3.5km/h/s  非 4.5km/h/s)
  • 台車:防音車輪(中空軸)、空気バネ式枕バネ、緩衝ゴム式軸箱支持、ディスクブレーキ
  • 駆動装置:直角カルダン駆動 平行リンク式継手
  • 主電動機:直流複巻 120kw 600V 225A 1800rpm ×2台
  • 制御方式:回生ブレーキ付チョッパ制御・応荷重装置付1軸両手ハンドル力行ブレーキ制御主幹制御器 デッドマン装置付き
  • ブレーキ方式:電気指令段制御式電磁直通ブレーキ(液圧変換)
    回生ブレーキ補足・応荷重装置付、保安ブレーキ装置付
  • 戸閉装置:
    • ラック連動両開(直動片開)式上戸閉機
    • 戸先検知装置・再開閉装置付
    • 戸閉保安装置付

主な開発特徴を紹介
  • 台車:振動・騒音の少ない高性能でメンテナンスフリーを目指す
  • 制御装置:チョッパ制御・回生ブレーキ採用で、追随性のよいZ形パンタを使用 (館主注)VVVFインバータ制御 までには至っていない
  • 運転台:正面を大きな曇り止め1枚ガラスとして視野を広くし、運転席を一段高くして、座位・立ち位何れも似た視界で操作できる。両手ハンドルの主幹制御器の両ハンドル間を低くして、その間の主要計器・スイッチ類を見やすくするとともに、その上を通して車両の直前路面に対する視界を十分とっている
  • 空調装置:架線電圧直接駆動の直流方式屋上集中装置で冷房を行い、天井裏ダクトで車体全長に分散して冷風を吹き出す。広島向けではヒートポンプにより暖房も行い、暖房時には腰板から温風を吹き出す。
  • 客室:座席をできるだけ前後向きとし、客の流れが滑らかな配置とし、窓は高くし、上窓は片手操作で、下窓は僅かだが開けられるようにし、爽やかな風が十分採り入れられる構造にした
  • 出入口:奥行きのある3段ステップとし、路面からも楽に乗降できるよう工夫。
    乗降客が釦スイッチを押すと扉が自動的に開き、通過が終われば自動的に閉まる(この方式は後に廃止)
  • 連結部:ホロでなく、固い壁体で内外ともカバー。(後にホロ式に改修)
  • 開発メンバー:(財)日本鉄道協会が運輸省指導にて開発委員会を設け、東大工学部井口教授を委員長とし、学識経験者、監督官庁、ユーザー、メーカーの技術者を委員として構成し研究開発した。
  • 将来への目標:次世代への高性能電車。あと20年経って、21世紀に入っても陳腐化しないで十分役立ち喜ばれるものを目標に、標準化とメンテナンスフリーをはかった
   
    関連サイト:[長崎のちんちん電車HP]内長崎電軌の2000形電車の情報
               広電3500形と長崎2000形はどこか似ている (^_^)

館主感想:

路面電車は必ずとも強い産業とは言えない。かかるときは業界関係者が総力を結集して合理的な車両を生み出そうと協力するのが日本産業の特徴であろうし意義は深い。3500形誕生時の経緯とその影響について館主は詳しくないが、その後の各社新車の製造に種々好影響を与えたのではなかろうか? 会社としての正式な記念車両ではないが、館主としては記念的車両として推薦したい。またこの総力方式は再度、2000年に運輸省の主唱で始まり広島電鉄Green Mover maxで結実した、あの超低床LRV台車技術研究組合技術委員会活動に繋がっていよう。広島電鉄関係者に聴きたいことであるが、「21世紀に入っても陳腐化しない」への評価は現在では如何なものであろうか?


広島電鉄(株)役員よりの意見を追記(8/18):
「3500形の開発コンセプトは今でも違和感はない。使用しての若干の改善希望事項はあったものの、それらを考慮しても今でも開発コンセプトに違和感はもっていない。むしろこの電車が開発されたことにより、今日の車両製作・運用に好効果が継続されており開発意義は大きいと考えている。記念電車に値する。」とのご意見を頂戴しました。




原爆被爆電車 651号 

04.2.9
  
 このホームページの発信地広島市は1945年に世界最初の原子爆弾攻撃を受け、直後だけでも死者14万人という惨禍を受けた。今年で戦後58年を経過し、もはや戦争のこの生々しい経験をもつ人の方がずっと少ないはず。当時から被爆者の感情は“あまりにも酷すぎる体験をしたので他の人に話すことに気おくれがする”ということであろうか。
 実は館主も当時中学校2年生で、あの日、爆撃機機体から原爆が離れる瞬間を目撃し、直後に顔から背中にかけて大やけどを負った被爆者である。自分も被爆体験は心に秘め、特に問われるまでは話したがらないところがある。
 以前より読者からのメイルにて、「被爆電車の情報は?」とか「広島市に行った折り被爆電車を尋ねたが実見できなかった」等を頂いていた。「当館の主旨は路面電車・LRTの未来志向が信条」ではあるが、「一貫した反戦主義者としては、過去に起きた原子爆弾の被害だけは多くの方に知って頂きたい」と考え直し、新しいページ「広島電鉄 記念車両」編を新設し、被爆電車の実相を掲載することにした。資料はすべて広島電鉄株式会社より頂いたものである。

●特報:被爆電車写真見つかる 原爆投下後の3日後撮影  
                  04.8.5掲載

  8月6日は広島市の原爆投下悲劇の記念日である。その2日前の8月4日に原爆資料館では、原爆で焼け焦げた電車写真を入手したと発表した。撮影日は1945年8月9日。撮影者は陸軍報道班員だった故岸田貢宣さん。場所は広島市中区、現広電中電前電停付近より南に向けて撮影。 車両は修繕されて現役で走っている。  (中国新聞情報)
 ・

●原爆被爆電車 651号 (↓記事本文)  

 650形は広電に残る唯一の戦前自社発注の電車であり、被爆電車でもある。
1942年(昭和17年)に木南車両で製造され、中型車ながら、中央に両開扉をもつ3扉の車体様式である。現在では後ろ扉を閉鎖し、シートも延長しており、前中2扉の標準方式で使用されている。また、当初は高床車であったが、1953年に低床化されている。
 5両が製造されたが、1945年8月6日の原爆投下により、全車両が被災した。[全焼:655号、半焼:651号、大破653・654号、小破:652号]
 1975年にワンマン化されたのち、1982年年から翌年にかけて、車内整備など念を入れた修繕をうけ、まだ元気である。
運転席の後部には650形車の由来を記したボードが取り付けられている


車両3元図と諸元

主要諸元
  • 大きさ(長×幅×高) 12,380 × 2,438 × 3,839 mm
  • 自重           16.2 ton
  • 定員(内座席)     80人 (32人)
  • モーター出力      38 kw ×2 台
  • 制御方式        直接制御方式
  • ブレーキ方式      空気および電気制動機、保安ブレーキ付
  • 台車           2軸ボギー台車

挿入写真より: 中心部八丁堀より西方を見る 左は福屋デパート
   
         電車内被爆者の証言


      発行日: 1991年
      発行者: 広島電鉄株式会社

      目 次: 運航中の市内電車の被爆状況図
            108両の電車が一瞬のうちに
         電車内被爆者の証言
            白神社付近      (1名)
            八丁堀福屋前     (11名)
            土橋〜舟入の間   (2名)
            横川〜別院の間   (4名)
            白島〜泉邸前の間  (6名)
            鷹野橋〜専売局の間 (4名)
            土橋〜己斐の間    (16名)
            広島駅前〜的場の間 (12名)
            専売局〜宇品の間   (5名)
            復旧後の一番電車に乗務して 
         電車内被爆者名簿
         あとがき

650系の運行現況
車  号:651号、652号、653号、654号
毎日の運行:1号線 広島駅〜紙屋町〜広島港
        3号線 西広島〜紙屋町〜広島港
        5号線 広島駅〜比治山下〜広島港
留置車庫:広島電鉄千田車庫
運行:現在はラッシュ時の午前(6〜10時)と午後(16〜20時)のみ
       日によって運行ダイヤは異なる

館主感想:
 そのとき自分は広島駅付近で被爆したのだが、通読するものの記憶が蘇り苦痛を忍ばねばならなかった。 
 多くの車両が同時進行で走っていたが、やはり爆心地に近いほど悲惨の様子が厳しい。当時路面電車は主要な交通手段であったので車内は常に満員。そのため同じ車内でも自分がたまたまいた位置で人体被害に大差ができたことも運不運を分けた。  
 本書の記述は戦争が市民に与えるものは何かを率直に立証している。


#365
2006.7.24

 被爆電車654号を広島市交通科学館にて展示


1942年に製造され、被爆後61年間も元気に走り続けた広島電鉄の被爆電車654号は先月遂に引退した。この貴重な車両を永久展示することが広島市と広島電鉄との間で纏まり、7月21日に広島市交通博物館への贈呈式が同館の広場にて行われた。
除幕は秋葉忠利広島市長、大田哲哉広島電鉄社長および地元安西(ヤスニシ)小学校の児童たちにより行われ、ここに永久的に展示されることになった。


展示形式は最後の走り姿そのままということで、内装や貼り紙・運賃箱等もそのまま展示する。

被爆電車4両のうち651号、652号はこのまま現役で運行。653号は廃車。

広島市交通科学館へは広電紙屋町乗換 アストラムライン県庁前より広域公園前行き長楽寺(交通科学館前)下車。所要時間は約24分。


除幕は安西小学童、秋葉市長(左)、大田社長(右)の引き綱によって行われた。
広島市交通科学館の広場にはサイクルロード・
カート広場等の施設や腕木信号機・庭園がある
654号は広場の東部に路盤と線路を敷設し
設置された。車内見学可能時間は指定されている

科学館2Fの世界の乗り物コレクションコーナー
入口正面は広電現役電車のHOゲージ模型がでん
自動車用エンジンのカットモデルコーナー 
ガソリンとディーゼルのエンジンがあり比較できる
広島市交通科学館の正面玄関
実は4階建ての科学館と裏の広場の階下は全部
アストラムラインの車庫になっている合理的設計
アストラムラインはゴムタイヤ式新交通である。
長楽寺駅は車庫への分岐駅になっており、上の
ようなコンクリート製分岐器の構造になっている

    関連ニュース:被爆電車654号引退 交通科学館に展示
    参考 サイト :広島市交通科学館ホームページ

館主の思い入れ:

昭和20年8月6日広島市内で被爆した広島電鉄654号は、私も被爆者なので同情心があり、老齢化、廃車後の行く末を心配していました。このたび広島市交通科学館にて永久保存されることになり私も安堵しました。 2006年7月21日に広島電鉄から交通科学館への贈呈式があり、私も取材に行き一部始終を眺め、写真に収めました。窓枠等は木製なので雨による腐食が気になり、式後館長さんにこの点を質問しましたら、「今回は予算の関係で実施できなかったが来年度にて実施します」との心強いお答え。これで安心しました。