館主の気がかり:(2011.4.10)
私は広島市の生まれで、1945年8月6日、あの原爆当日は中学2年生。爆心地から僅か2km地点の屋外にて被爆。顔、手、肩を火傷(400ミリシーベルト≒福島原発最大被爆者の2倍)し、2.8km地点にある壊れた自宅にたどり着きました。家では姉・弟2人・妹が建物内被爆していました。直後では“原爆” “放射能”という言葉も知りません。火傷には母親が天ぷら用胡麻油を塗って凌ぎました。毎日は麦飯と隣接菜園から採れる野菜を井戸水でじゃぶじゃぶ洗ったものだけという粗末な食事です。魚は、10月頃だったでしょうか?広島駅前の闇市に初めて現れ、お金の許す限り買い出しに行き嬉しく頂きました。採れる場所は広島湾ですから周辺は島々に囲まれた海流の少ないプールのような海です。放射能の観点からは、今回の黒潮の流れる場所とは真反対の恐ろしい場所だった訳ですね。


それでもその後の兄弟全員は、誰も脱毛、嘔吐などの放射能障害を発したものもなく今年で66年、皆んなまずまず元気で生活しております。級友達も似た様子に見えます。人間とはいざ危機に会ってもだれしも結構抵抗力があるものだなあというのが現在の私の感慨です。 それにつけても東北・関東地域の方々は原発が原因で難しい放射能用語と、細かい数値の真実味に恐怖し、出荷停止だの避難や買い占めなど風評被害に振り回されて大変な目に遭っている気がしてとても心配しています。これでは日本中がますます不健康・萎縮症候に陥るのでは?と。 
TV等の情報を私達家族・友人の体験談と比べて、今いちど考えてみてください。 学問的数値が真か? 広島体験の方が説得力があるか? どちらが真実でしょう?

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      山根アドレス:  yaman@urban.ne.jp